時代の不運に泣いた人の話

時代の不運に泣いた人の話

こんにちは、フジサキです。

 

切ない話を紹介したいと思います。

初めてグライダー飛行をしたのは日本人だと知っていましたか?

その人物は江戸時代に生きた浮田幸吉という人です。

 

岡山県に住み表具師として仕事をしていた幸吉は空を飛ぶことに憧れました。

「人間でも鳥のように翼があれば飛べるのでは?」と考えた幸吉は鳥を捕まえて、翼と胴体の仕組み、比率について調べます。

当時は航空力学などはなく、幸吉は物理学の基本知識もありませんでした!

ただ幸吉は表具師だったのでその技術を生かして、竹を骨組みにして紙と布を張って、そこに柿渋を塗って強度を持たせた翼を作り上げたそうです!

何度も失敗を重ねて繰り返し改善を続け、ついに28歳の時にグライダーのようなものを完成させたのです。

そして橋の上から飛びました、風に乗った機体は数十メートルを飛んだようです。

それを見た町人たちは「天狗が飛んできた!!」と大騒ぎになったようです。

 

これは日本初のグライダー飛行です!

本来であればヒーローで賞賛の嵐となっていたはずですが、幸吉に待っていたのは人々を騒乱させた罪で、藩士に捕らえられたようです。

そして岡山から追放されました。。。(ひどい)

 

これから64年後に、イギリスで「航空学の父」と言われるジョージ・ケイリーが同じグライダーの原理を使って、「世界で初めて有人グライダー飛行に成功した」栄誉を得ますが、本当だったら浮田幸吉が栄誉を得るはずだったのです。。。

ちなみにライト兄弟が初めて飛行したのはこれの118年後です。

 

もしも藩が幸吉の異形を理解していて、幸吉を援助したなら、幸吉のグライダー技術は上がり、世界で初めて空を飛んだ男として名が残った可能性はかなりあるのです。(てか間違いなく)

さらに悲しい話なのですが、

その後、岡山から追放された幸吉は駿河の府中(静岡)に移り、腕のいい入歯師となったようです。

そこでも空を飛ぶ夢を捨てきれずに、50歳の時に改良したグライダーで上空を数十秒も飛んだという話が残っています。

そして、、、この時、世を騒がせたとして死罪になったとも言われています。(ひどい)

 

という切ない話でした。

日本ってこういうところがありますよね、法整備も進みが遅い、すごい技術はあるのに取り入れるのに遅い。。。

頭が柔軟ではない部分がありますね、、、鎖国文化ってやつでしょうか。

今もかなり残っているように感じます。

 

幸吉のお墓がどこかにあるようです。

お墓参りに行きたくなりました!

 

はい!

で今回は前にも紹介した雑談力の中の内容を取り入れました。

 

では、また。